「うつ病で休職」は恐くない!

松田鬱男の休職・社会復帰ブログです。

松田の病状 2.限界と診断

 松田の病状を時系列に沿って記載します。メンタルヘルスは個人差も大きいとは思いますが、共感できる部分があると「自分だけじゃなかった」と安心しますよね。一方で、症状に自分を当て込みラベリングすることで、「自分は病気だから社会不適合でも仕方ない」と免罪符を手にしてしまうことに自己否定感も出てきますが……。そこまで深く考えず、うつ病患者の一症例としてお読みください。 

※2020/03/19改稿

2.限界と診断

 松田は明るいサラリーマン生活を見いだせないまま、転居も含めた異動を繰り返し、営業職と事務職を転々としました。途中3年間いた事務職は「営業できない奴のゴミ箱」と言い切る人までいる閑職でしたが、安いプライドと引き換えに平穏な日常を送ることができました。そこに異動するまでもなく営業適性のなさからキャリア志向もなくなっていましたし、その部署での仕事の方が自分には向いており、またそれなりの成果を出していたと思います。同期や後輩に遅れをとりましたが少しだけ昇進もしました。余裕と縁があり、結婚し第1子を授かったのもこのころです。

 その後再び営業職に異動となりましたが、これがなかなかハードなものでした。その部署での1年目はとにかく仕事量に追われました。平日だけでは仕事をさばけないので、土曜はほぼ出勤(当然、サービス出勤)。状況によっては日曜に出勤することも珍しくなく、木曜・金曜に「土曜はアレとアレをやって、アレは日曜にまわそう」と考えるなど、長時間労働が前提の働き方をしていました。しかしどれだけ頑張ったつもりでも、やはり営業職のセンスがなく、客先からも社内からも相変わらず低い評価を受けていました。だんだんと抑うつ感を感じるようになり、動悸も起こるようになったのですが、自分の心身に起こっていることにまだ気づいていませんでした。風邪の延長だろう、ただの緊張だろう、と思っていました。

 そして2年目。担当客先と仕事量がさらに増え、また上司が代わりました。過去にパワハラレベルの厳しいダメ出しで後輩をメンタル的に追い込んだと聞いたことがある方でした。松田も恐々としていましたが、案の定厳しく指導をされました。業務に関する指導自体は正論でしたが、仕事も増え、自分の能力ではとてもできないことを要求されていると思いました。それに加えて仕事のできなさから完全に毛嫌いされ、邪険に扱われていたように思います。普段の身振り手振りや足音、カーナビをヘディングアップではなくノースアップで使っていることまで罵られました。

 すべては自分が無能だからだ、認められる成果を出していないからだ、と自分を責め続ける日々。症状が段々と顕著になってきました。やり残している仕事や怒られたことが頭から離れず、抑うつ感と動悸、頭痛が常にありました。元々胃下垂の大食いで外回りの昼食に大盛の店を巡るのが楽しみだったのですが、食欲がなくなり昼食はパン1つを無理矢理食べるのが精いっぱい。また、やりこんでいたスマホのソーシャルゲームも億劫になり、パタリと辞めてしまいました。

 そんななかである土曜の朝。その土日にフルで仕事をしないと翌週以降パンクすることがわかっていたのですが、どうしても出社する気になれず、布団から出られませんでした。今日は調子悪いな、しかたないから軌道修正して日曜と月曜でどうにかしよう、と目算をつけて一日休みました。

 翌日の日曜。その日こそ仕事をしないと本格的にまずいのに、また終日布団から出られませんでした。

 月曜はさすがに出社したのですが、土日のツケで相当苦労したと思います。過去のことだからなのか記憶障害なのか、もう記憶が曖昧です。しかし土日に動けなかったことをいまでも強く覚えています。

 その後、ある日とうとう限界がきました。出勤前にヒゲを剃っているときに抑うつ感が最大になり、シェーバーを投げ捨て、会社に行きたくない、と泣き崩れてしまいました。これまでどんなに失敗しても怒られても泣くことはなかったのですが、本当に子どものように泣いて妻にすがりついたものです。

 それでも義務感からなんとか出社し、数日間仕事を続けました。もうこれは病気だな、と自覚しましたが、思考能力も減退し治療するという選択肢はありませんでした。メンタルヘルスの異端者扱いされたくない、等のプライドの問題ではなく、どうすれば良いかわからなかったのです。無心で雪道を暴走していたころのように、どこにあるかわからない出口を追い求めていました。

 しかしまもなく転機を迎えました。アポをとっている客先に車で向かっていたときのことです。そのときは抑うつ感は比較的弱く、またかなりの成果を期待できる商談を控えていたため、珍しく楽しみな気持でいました。それなのに。いまこの瞬間は悲しいことなど何もないのに。なぜか涙が出てきました。大泣きではありませんが、涙がこぼれ出ました。あのときのタイミング、場所も時間も感情もすべて覚えていますが、なぜ泣いたのか未だにわかりません。脳と神経のバグだったのでしょうか。

 驚きはしましたが抑うつ感など問題はないので、涙を拭いて予定通り商談を終えました。しかし、これで決断しました。自分は病気だ。このままだと自動車事故を起こしてもおかしくない。以前はそれを望んですらいましたが、いまとなっては妻と子どもがいます。家庭を守るためには、いますぐ現状を変えなければいけない。と決心しました。

 件の上司に面談の時間を設けてもらいたい旨を申し出、翌日の朝一で相談することになりました。もはや仕事はパンクしていること。精神的に限界であること。身体にも影響が出ていること。衰え切った思考能力では考えながらしゃべっても伝えきれないと思い、相談内容をA4用紙にメモして持参し、確認しながらすべてを話しました。いまもそのメモは残していますが、書き出しはこうです。「現状、仕事がうまくまわっておらず申し訳ありません」。その通り読み上げたわけではありませんが、上司への恨みではなく、自責の念がすべてを支配していたと読み取れます。

 この時点では具体的にどうすればいいのかわからなかったため、まず社内外に相談できる窓口があるかどうかの相談のつもりだったのですが、ありがたいことに事態は急速にすすみました。面談直後、上司がさらに上位者に報告くださり、その方の判断でその日は帰るよう言われました。とはいえ当日その場で仕事を放り出すことはできず、客先にはアポキャンセルの連絡を入れ、その日できることだけをこなしました。人事部への報告も同時進行で行っていただいており、翌日、産業医と面談するよう取り計らっていただきました。

 産業医とは何者かもよくわかりませんでしたが、その方に本当に救われました。話を引き出してくださり、言葉を選んでくださり、予定調和だったとも思いますが最終的に休職を促してくださいました。さらに、松田の住居の最寄り駅付近に信頼できる評判のいいクリニックをご存じで、紹介いただけました。その場で電話し初診予約をとるところまでお膳立てしてくださり、後日受診し、松田は休職の診断をくだされるのでした。

 

 このときの会社の対応については少し考察がありますのでまたの機会に書かせていただきますが、とにかくすぐに休職できて本当に助かったと思っています。自分語りの長文をお読みいただきありがとうございました。

 

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